生存報告所

日記だよ!

3/24 OOC2024

3/24(日) 睡眠時間6時間半 9,829歩

他の方のゲーム攻略記事を見ると、ちゃんと軸となるポータル記事がある。私もステラアビスでそうすればよかったなぁ…と今更思ったり。そもそも日記の範疇ではないと言われたらそうなのだが。

やったこと

 夜明け近くまで体験版に没頭して就寝。そして迎えるお昼。今日は朝からバッチリ準備をしてOOCに向かおうと算段を立てていたが、そんな予定は果たされず布団の中で開会の時間を迎えることになってしまった。ひどい体たらくである。

 日記を書こうか迷ったが、少しでも早く行くべきだよなぁと感じたため、気持ちも服も切り替え慌てて準備を進める。

 

OOC2024

 電車と徒歩を含めて1時間半。曇り空の中、OOCのノベルティらしき鞄を持った人たちとすれ違いつつ、お茶の水女子大キャンパスを目指す。東京では見慣れたビル街の中で、いきなり大学の正門が現れるのは景色に馴染みすぎていてちょっと意外。地元の大学は鬱蒼と茂った木が門を囲んで主張していたため、大学がこんなに街に馴染んでいるものだという想像が無かった。

 

 正門でまず受付チェック。裏話によると、不審者対策のために正門で1回・会場近くでもう1回の受付をすることになったのだとか。場所が場所ですからねぇ…。

 

 食堂はラストオーダーが終わり、ゲムマで考えるとそろそろ撤退し始めるか…という時間だが、会場はまだまだ盛況。講義が行われる部屋へ入るためにメガネ男性が列をなしていて、同志の存在に安心する。

いただいたノベルティをさっと一読し、琴線に触れる発表を探す。「オブジェクト指向宗教史」…これに決まってるでしょ。

 

オブジェクト指向宗教史

 オブジェクト指向の歴史が西洋の宗教史に似ているよ! という話から始まり。人類学も好きな身としてはワクワクが止まらない。そしていきなり宣言される「オブジェクト指向の厳密な定義はない」というお言葉。界隈に対して最初の火矢が撃ち込まれました。

 

 宗教の紀元前・ギリシャ哲学にあたるのは、オブジェクト指向で言うとアラン・チューリングフォン・ノイマンノーム・チョムスキーの御三方。前2人は超有名だが、チョムスキーさんは今回で知ったかな…? もしかしたら正規表現の本でも出てきたかも…。 

 

 そして起源・キリストの福音にあたるのが「オブジェクト指向」という言葉を産んだアラン・ケイの登場。彼は仲間と協力してSmalltalkの言語を開発し、その中に現代で言うポリモーフィズムや依存性の反転原則などを織り込んだ。さらに代表的な特徴である”遅延束縛”によって、言語の仕様としてはメッセージが連なるように処理が連鎖していく仕組みになっていた。

これによってユーザーは、最初から最後の仕組みまで知らなくても、意味が理解できる部分だけを見て実装をすればよい…となる。「分からなくても使える」がキャッチコピーかも。

 

 こうして世に実装された「オブジェクト指向」なのだが、宗教史で言う”中世”の暗黒時代に突入すると雲行きが怪しくなる。「C++オブジェクト指向」と言われたり、別の言語が起源とされたり。正しい「Simple」な話ではなく人に分かりやすい「Easy」が広まり、思想的な考えは尾ひれを重ねて権威・神話となってしまった。

キリスト教以前のユダヤ教で”原罪”がただの人間性の獲得であったという話はたぶん初耳だ。「神の子キリストが~」という話は聞いたことがあるため、こちらもどこかで、話に尾ひれと仮面が付いてしまったのでしょう。権威は足し算されるもの。

 

 そして人文主義・科学革命が発達したように、オブジェクト指向も近代に入る。ルターの協会批判がグーテンベルク活版印刷という情報シンギュラリティで成功したのと同じように、インターネットという第二の活版印刷によって誰もが議論できる社会になったという対比はとても面白い。権威主義に反発した人たちが新しいグループを作る流れまで同じで笑っちゃった。

 

 最終的にオチは、個人が素朴に信仰心を持つのはOK、でも救済を押し売りする中世の宗教のようなもの(アジャイル・TDDという権威)には注意しましょうという話。

こんなことを宣言されたら(意図的にせよ盲目的にせよ)信奉している人は顔を真っ赤にして反発するだろうから大体な人だなぁと、終始内心で笑っていた。日記を書くために改めてスライドを拝見したが、これだけでは全く分からんのが質が悪い。昨日の記憶があって初めてなるほどなぁ…という感想を抱くことが出来た。

 

 思想を人に押し付けることができるだけせずに生きて生きましょう。全てを解決してくれる銀の弾丸なんてものはない。たくさん勉強して様々な方法を状況に当てはめていくだけ。

 

DDDでレガシーコードに立ち向かうリアル、躓きと学び

 日頃からレガシーコードを戦っていた身としては気になったセッション。はてはて、どのような苦闘と辛酸舐めた歴史があったのかと伺うことにしてみた。

 

 今回のお相手は数年かけて前のめりに機能開発してきたプロダクト。次のステージへ向けて、そろそろコード整理をするときが来た…のに加えてインボイス制度という期限をずらせない開発案件が来たので、リファクタリングに取り掛かるという話。

 

 以前は読んで諦めたDDD(ドメイン駆動設計)の本を、改めて問題に直面してから読むことでとても理解が進んだというのは良い話。困っているときに行う読書は一番知識の吸収率がいいと思う。苦労して、時に諦めてリファクタリングしてきたことで得た答え(メタファー)は、レガシーコードのリファクタリングは宝探しだということ。見つけて解決してレベルアップなら…確かにそうかもなぁ?

 

 ちょっと考えてみると、レガシーコードというのは、

  • 仮想的な問題ではなく現実に直面している課題
  • 複雑なビジネスの要件を満たしてきたコード
  • (あと1個忘れた。期限があるという話だった気もする)

という3点が揃ったやりがいのある問題だという話もあった。「これは良い経験になります」とおっしゃっていた気がするが、私はそんなにポジティブに捉えられないぜ…。会社のSlackにはレガシーコードに悲鳴を上げたことしか書いてなかったかもしれない。

 

 他にもいい話があったはずなのだが、セッション終わった後にメモしたデータが吹き飛んで、衝撃で感想も記憶も吹き飛んだのが悲しき思い出。もうiPadのメモ機能は信用しないぞ!!

 

 折り畳みの椅子に座り、広い机に物を広げるとたった数年前に受けていたはずの大学の授業を思い出す。仕事に関連するなぁと思うと聞くことにも力が入るが、どうして数年前はあんなに舟を漕ぎながら受けてしまったのだろうか。社会人経験2年ほどしてから大学に行くのが一番面白いと思うが、高卒で入れる場所なんて限りがありそうなんだよなぁ…。

 

スポンサーブース

 知り合いの方に会って挨拶したり、会社独自の勉強会方法について伺ったりアンケートに答えたり。Timeeさんのブースは可愛いぬいぐるみ達で埋まっていて異彩を放つ場所だった。

 

団らん

 家族が上野に来ているということでそちらに顔を出すことに。だべった。

 

 感想を書こうと思ったが、スポンサーブースでいただいた沢山の荷物整理をしたり、家族に送るようにキーボード掃除をしていたらあっという間に日付が変わる。前日分の日記を書いたからOK! ということで眠りについた。

最近毎日書くルールがどんどんガバガバなってないか?

 

ごはん

 朝食:食べず

 昼食:ごはん+お好み焼

 夕食:(外食)油そば

 

 夜はホテル近くにあった油そばを堪能。言われてみて気づいたが、関西では油そばという文化を全く見たことが無かった気がする。”そば”という言葉が付いているからなんとなく関西の食べ物なのだろうか。

 

その他

いただいたガイドブック。表紙に箔押しされているのが伝わるだろうか?

 参加していただいたガイドブック。技書博でも感じた丁寧な仕事で、寄稿文で130ページ、広告カラー印刷でさらに30ページと少々分厚いガイドとなっている。同人誌として1000円で販売されていても全くおかしくない気がするのだが、無料で頂いていいんですか!

 

 素晴らしい寄稿文による技術の話も好きなのだが、一番好みなのは最後のイベント開催に当たっての裏側話。自分がイベントを開催することになった際にはまた読みたいものです。今はまだ分からなくても、困ったときにきっと役に立つ…はず…!